ナイファンチン詳究と雑話17作                                      今週の天心独露































BUTOKU




 

 日本国唐手道


「武」とは戈を止むと書く、色無く形無く臭気も無し、されど之を用いて剛大なりと。「年毎に咲くや吉野の山桜、木を割りて見よ花のありかを」、天地の万物皆陰陽あり、これを和合して成果を生ずるなり、これを武と言う。

「神が心と成れざるを悟り、これが到らざるを諦らむる」だからして武の道、生涯の道たるを知るべし。名声、名利が一番人の心を惑わす源であるを知れ。たとえ僅かなる名声、名利もその心を蝕ばみ、やがて己が心を失う事あるを知れ。自ら犠牲となる心を養い、その報いを欲せざる心なり、この心こそ天より授かりたる心、武の心なり。

人は万物の霊長なり、人は万物の総ての心を持っている「木火土金水人畜」の心なり善悪の心常に相争うなり。武の道は常に正義を愛し心身を鍛錬し己に勝つ事である。怒りをおそくする者は勇者にまさる。己が心を修むる者は敵城を攻め取りたる者に勝る。武道を学ぶ者その心正しくし、心正しからざる者、その武道また正しからず。武道は心の鍛錬なり。無住心即ち天の心に雲のかからぬよう常に払いさる。武の極限に達し、争いの無い至上至高の境地に達する。武の道とは人と争う事ではない。総てに恵みを与え、この報いを欲せざる心、即ち天の心なり。敬神之尚武なり、故に神武不殺の剣である。




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