唐手道武藝の源を辿れば民國三十六年(1947年)

山東省鄒平縣九郷丁家庄人張俊峰宗師来臺による教授指導が始原となります。

当時の臺湾の民間武術舘では太祖拳、猴拳、永春拳、羅漢拳、鶴拳各派、

所謂南派少林拳が主流であり内家拳術が公開伝播される事は少なく民間人が

その技藝を目にする事はほぼ無かったと言えます。



大陸第一級の武術家「臺始易宗」張俊峰宗師により臺湾に内家拳術の胎動が

始まりました。易宗武學の内容は實戦上その基となる練習首重は

形意拳李存義一系(最も古い伝統的な形であり当時大陸で高名な広東の十虎の内

七人がこの形意拳を習練する事となり七個形意拳と呼ばれました)であり、

また郝派太極拳、高義盛八卦掌(程派高式)等が習藝の主體となります。

張俊峰老師天津在住時兄弟子の呉孟侠、張占魁の大弟子韓慕侠等勇義の士と習練、

實戦技撃を相互に研究、切磋技藝、研鑚に努める。

1948年大陸時局騒然政変により帰國出来ず臺北市に定住する事となる。

1950年易宗國術総舘成立。1951年臺湾省國術會の創設に奔走、

教務委員會主任委員に就任、臺北市國術會顧問等歴任。



張俊峰大師の授徒多く易宗第一代門徒の武術名家洪懿文、洪懿綿、洪懿祥三老師は南派少林各派の精髄に更に

臺始易宗武學を傅承し易宗唐手道を創始した代表的人物、その大弟子許鴻基老師は民國五十五年(1966年)

中國神龍國術館を開館授徒。1968年道場名中國神龍唐手道館。1970年淡江大学、輔仁大学、文化大学、

中央大学等総教練として指導。1972年許鴻基老師の実力を臺湾駐留米兵身を持って知ることとなり米軍の要請、

配慮によりたいへんまれな名誉ある特権が与えられ武術教師としての特別許可を得る。臺北米軍顧問圑林口米國空軍基地、  

M.A.A.G.軍事施設、海軍軍事施設等、臺北、臺中米軍基地内3箇所以上のクラスが開校いたしました。



民國六十二年(1973年)臺北市體育會唐手道委員會を設立、許鴻基老師創始人となる。1977年米國カルフォルニア州  

ロサンゼルスに於いて世界唐手道協會成立、主席に就任する。来日数十回多くの著名な武道家と交流、指導、

その神技は米國、オーストラリア、香港、ドイツ、イタリア等多くの多くの人々に歓迎され絶賛を博する。

民國七十三年(1984年)十月九日病逝、國家痛失英才。  



1985年実弟許昭雄老師(大陸摔角重量級冠軍、潘文斗大師の大弟子中華民國憲兵第一期種子戦技教官)唐手道の

一大支柱として継承、唐手道の首座、総教練李慶祥老師と共に臺北市體育會唐手道委員會、唐手道日本國本部を統括指導。

2005年臺北市體育會唐手道委員會主任委員蘇文滄老師就任、唐手道日本國顧問林武雄老師。許鴻基、許昭雄、李慶祥師父の

直弟子吉﨑元章、2001年中華民國公的機関臺北市體育會唐手道委員會、唐手道日本第一代範士認定書授与。

國際唐手道委員會理事長。

       國際唐手道委員會事務局